小学校理科の「問題」はどのように設定するのか

授業の主発問の部分となる「振り子の一往復する時間は、何によって変わるのだろうか」のようなものを、小学校理科では「問題」といいます。

地域によっては、「課題」とか「学習課題」と言っているところもありますが、本来の考えから言うと、「問題」が正しい。今回は、この「問題」の設定について考えてみましょう。

先ほどの、「振り子の一往復する時間は、何によって変わるのだろうか」を「問題」と言うと述べましたが、この「問題」は、

①教師が子どもの与える「クエスチョン」という意味での「問題」
②「子ども自身がもつ疑問」という意味での「問題」

どちらの意味が正しいのでしょうか?

実際は、②が正しいです。

なぜならば、小学校の理科は、「子ども自身が問題解決をする」ことを重視しており、子ども自身が疑問を持って、これから解決する問題を自分自身で設定することが求められているからです。
つまり、このような問題を設定する際は、この問題を教師が出すのではなく、子ども自身がこのような「問題」をもつように、導入を工夫する必要があるわけです。

教科書にはすでに問題が書かれています。そのため、授業が始まったとたんに、「今日の問題はこれです!」と教師が出す授業の事例がみられます。しかし、先の考えから言うと、間違っていると言えます。導入で、教科書に書かれている問題を持てるような状況設定をします。これは、あからさまな誘導ではありません。導入ができればその後の授業がうまくいくかどうかはほぼ決まってしまいます。このように、教師があらかじめもたせたい問題(教科書に書かれている問題)があったとしても、その問題を子どもが持てるように導入をどうするか、努力したいものです。

以上のことから考えると、「問題の書き方」もしっかりと考える必要があるでしょう。

例えば、「振り子の一往復する時間は、何によって変わるのでしょうか。」という言い方は、みなさんはいいと思いますか?

結論から言うと、「~でしょうか」という語尾がおかしいです。
「問題は子ども自身が持つこれから解決する疑問」と考えると、子ども自身が、自分で「~でしょうか。」と言うでしょうか?この言い方は、先生が子どもに与えている「クエスチョン」になってしまっていますね。語尾1つとっても、子どもの「問題解決」をどのように考えているか、というスタンスが見て取れます。本当の意味で、子どもに問題解決をさせたいと考えるならば、

○「~だろうか。」
○「~なのかな。」
○「~は、どうしてだろうか。」
(いずれも、子どもがもつ疑問を自分自身で表現した形)

という言い方になるはずです。
逆に、理科の問題としてダメな問題例は、

×「~でしょうか。」(教師のクエスチョン型)
×「~しよう。」、×「~しましょう。」「~やってみよう。」(呼びかけ型)

という、「教師主導型」の表現になってしまいます。

整理すると、小学校理科では「問題:子どもが持つ疑問から出てきたもの」「課題:教師が与えたもの」ということができます。文科省の資料も見ていただくと、すべて「問題」になっています。

なお、中学校は教師が与えるクエスチョン型で授業が作られることが多いため、「学習課題」といわれることが多いです。(小中と違いがある)。また、小学校の算数も課題ということが多いです。それは算数は、子どもが解くものを「問題」というため、使い分けのため課題と言います。(同じ校種でも教科によっていい方が違う)

 

投稿者プロフィール

寺本 貴啓
寺本 貴啓國學院大學人間開発学部 准教授
博士(教育学)

1976年兵庫県生まれ。静岡県の小・中学校教諭を経て、広島大学大学院に学んだ後、大学教員になる。専門は、理科教育学・学習科学・教育心理学。特に、教師の指導法と子どもの学習理解の関係性に関する研究、その周辺の学習評価、教員養成、ICT機器を活用した指導に関する研究に取り組んでいる。また、小学校理科の全国学力学習状況調査問題作成・分析委員、学習指導要領実施状況調査問題作成委員、小学校教科書編集委員、NHK理科番組委員等を経験し、小学校理科を研究の基盤としている。

ホームページ http://hatena.net
9月 25, 2018

タグ: